【番外編】IIISアート作品紹介「Dorveille」:焼き物だからこそ表現できることがある ~齋藤敏寿さん~


IIIS研究棟の外構に設置された焼き物の作品〈archetype00021〉

前回の記事では、眠りに入る瞬間の顕在意識と潜在意識のはざまの時間をテーマにした「Dorveille」を紹介しました。哲学的とも言えるこの作品をつくったのは齋藤敏寿さん(筑波大学芸術系准教授)です。

齋藤さんは、陶による造形の独自性とは何かと、コミュニケーションツールとなる作陶を活用した教育プログラムの構築について研究をしています。なぜ焼き物を使った芸術表現にこだわるのか、お話を伺いました。

いまだに焼き物に固執しているので、自分に合った表現方法なのだと思う

− なぜ焼き物で芸術表現をするようになったのですか?

大学に入学した当初は絵画に取り組んでいました。好きで始めたことでしたが、途中から「何を表現したらいいのだろうか?」と思い悩むようになり、次第に絵を描くことが辛くなりました。2次元(平面)の中での表現から3次元(立体)表現へ興味が変化していき、いろいろと模索する中で大学3年生の時に陶芸に出会いました。

− 焼き物のどのようなところに魅力を感じたのですか?

土をこね、かたちを作り、装飾して焼きあげることで完成する、その行程に魅了されました。絵画はキャンバスの上に直接的に描いていくため、自分が完成だと思うまで永遠に作品を作り続けられる点が魅力ですが、逆にそのことが私の表現を苦しくしてしまったと思います。焼き物の場合、土をこね成形後は自分の手を離れ窯にゆだねる時間があります。その時に作品と自分の間に一定の距離ができるため、失敗することは沢山あるけれども、その制約(不自由な部分)も含めて表現することに魅了されていきました。いまだに焼き物に固執しているので、自分に合った表現方法なのだと思います。

様々な物事(動物、植物、遺伝子、物質、分子、原子、クオーク、etc)に共通するかたちの元型があるのでは

- 芸術にはいろいろな表現方法があって、自分は絵だと上手く表現できる、焼き物だと上手く表現できるとか、人によって心地よいと思う表現方法が異なるのですね。その中で、自分に合った表現方法に出会えたのはとても大きな出来事でしたね。今、焼き物でどのようなことを表現しているのですか。

IIISの外構や筑波大学構内にも設置されていますが、「archetype」という作品シリーズがあります。もともとarchetypesという言葉はスイスの心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した概念で、国家や民族などを超えて人類みんなに共通する無意識のかたち(type)があるのではという考えです。集合的無意識とも呼ばれます。

筑波大学構内に設置されている作品〈archetype50024〉

- む、難しい・・・。意識とか無意識とかって自分たちの経験をもとにして形成されるものだと思っていましたが、その中に、個人の経験を超えた人類みんなに共通する無意識の領域があるかも?ということですね。なんとなく理解しました。

僕はユングが提唱したものをそのまま表現しているわけではありませんが、人類だけでなく、様々な物事(動物、植物、遺伝子、物質、分子、原子、クオーク、etc)に共通するかたちの元型のようなものがあるのではないかなと。説明が難しいのですが、例えば眠りに入る直前に、具体的ではない抽象形態が頭の中に浮かび上がり、私はそれをなんとか、かたちにしたいと思っています。いわば僕が主観的に考えた集合的無意識のかたちを焼き物で表現しているともいえます。主観的なかたちなので、作品を見た人は「キリンに見える」とか「恐竜に見える」とか、もっと感情的なことで「わくわく」とか「ぎすぎす」と感じる人もいるかもしれません。色々な人が違う印象を抱くというのも作り手にとって面白いところかなと思います。何を感じてくれてもいいのですが、作品を通して「深くて抽象的な世界があるのでは?」と、少しでも思いを巡らせてくれればありがたいです。

- 集合的無意識のことを考えることってほとんどないですからね。私にとっては、そういう世界があるかもと考えるきっかけになりました。こういった抽象的な世界を表現するのに焼き物へのこだわりはあるのですか。

抽象的な世界を表現するのに私は作陶を活用していると思います。本編でも話しましたが、焼き物は、はじめに土をこねてかたちを作り、1200℃〜1300℃に達する窯で焼くことでできあがります。柔らかい土が硬い陶に物質変容する過程で、創造するかたちの可能性にとても魅力を感じていますし、作陶工程を経たからこそできるかたちが表現に欠かせないと考えています。もちろん、本当にそれで元型をかたちにできているかと言われれば、答えはわかりませんけれども。

※作陶・・・焼き物を作ること

酸化金属の分量割合を変えるだけで焼き物が変化することを説明する齋藤さん

コミュニケーションツールとしての作陶ワークショップ、参加者同士の心がつながっていく瞬間を見た

− 失礼かもしれないのですが、先生の作品は深いメッセージが込められすぎていて、普通の人からすると理解できないところも多々あるような気がします。

(笑)。でもわかってもらいたいと思っています。僕の作品は、立体パズルの様にたくさんのパーツを組み上げて出来上がっているのですが、その特徴を利用して、美術館で作品を紹介するときなど、鑑賞者と一緒に作品を組み立てるイベントを開催したりします。そうすることで、抽象的な作品でもちょっとは理解してもらえるかなと。そういうワークショップを20年前から始めて、今でもそういった取り組みを続けています。

茨城県陶芸美術館で行った作品を協働で組み立てるワークショップの風景

ー 今も?どんなワークショップをされているのですか?

最近では東日本大震災と福島第一原発事故による被災者とつくば市民などとを緩やかにつなげられたらと、コミュニケーションツールとしての作陶ワークショップを教育プログラムとして構築できないかと模索しています。一見、よい活動に思えるけれど、これはとても微妙なこと。焼き物は壊れるものでもあるので震災や津波を連想させてしまうかもしれないし、おこがましいことをやっているのではと思うこともあります。震災直後に復興支援としてアートに何ができるか問われていたと思います。

さまざまな葛藤はありましたが、実際にワークショップをやってみると、土をこねてかたちにしていくことで参加者同士の心がつながっていく瞬間を何度も見ました。様々な背景を抱えて生活していることなど何も話さなかったとしても、時間を共有する一つのきっかけになっていたと思うし、そこから生まれた新しいつながりもたくさんあると思います。一過性で終わるワークショップではなく、ゆっくりでいいので継続的に活動することで問題解決ができたらいいなと考えています。

東日本大震災後から継続して活動している「結の器ワークショップ」の集合写真 

結の器プロジェクト公式FB https://www.facebook.com/yui.utsuwa/

ここまで齋藤さんのインタビューをお届けしました。みなさんは何を感じましたか?焼き物に魅力を感じた方も多いのではないでしょうか。私は、情緒感が溢れる焼き物だからこそ抽象的なことを表現できること、そして何よりも焼き物を通して新しいつながりが生まれることにとても魅力を感じました。芸術の価値の幅広さ、奥深さに触れられた気がします。サイエンスとは違ったかたちで、芸術は人間を豊かにしていくものなのですね。

【本編】IIISアート作品紹介「Dorveille」:焼き物だからこそ表現できることがある ~齋藤敏寿さん~

齋藤敏寿研究室HP:http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/~toshijulab/

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